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第1話 推しの声で目覚める朝

Penulis: 月歌
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-01 15:43:31

「——おはよう」

低い声が、部屋に響く。

掠れて、それでいて艶のある声。耳の奥に染み込むような響き。まるで恋人が枕元で囁くように、柊木蓮の声が私の朝を連れてくる。

「今日も一日……僕と一緒に頑張ろうか」

水野美月——三十一歳。都内の出版社で編集アシスタント。彼氏いない歴イコール年齢。最後に告白されたのは大学時代。もう十年も前のことだ。

スマホの画面には、柊木蓮の笑顔が映っている。

三年前のイベント特典でもらった目覚ましアプリ。何百回と聞いた声なのに、毎朝この声を聞かないと一日が始まらない。

——もう一度。

指がスマホに伸びる。

もう一度、あの声を。

「おはよう」

再生。

低音が身体の芯まで響く。

喉が震える。胸の奥が疼く。

これが、私の生きる理由だった。

五年前、深夜アニメ「黎明の騎士団」で初めて聞いた、あの声。

蓮くんが演じたのは、主人公の親友である騎士・アルベルト。正義感が強くて、不器用で、大切な人を守るためなら自分を犠牲にする——そんなキャラクター。

最終回。

アルベルトが主人公を庇って倒れるシーン。

『……行け。お前は、お前だけは……生きろ』

掠れた声。

呼吸の音。

消えゆく命の儚さを、声だけで表現していた。

あの日、私は号泣した。

アニメのキャラクターの死で、あんなに泣いたのは初めてだった。

それから——柊木蓮という声優を追いかけるようになった。

三十過ぎて何やってるんだろうと思わなくもない。

でも、蓮くんの声を聞いていると、灰色だった日常に色がつく気がした。

会社で嫌なことがあっても、帰りの電車で蓮くんのボイスドラマを聞けば頑張れる。

休日に予定がなくても、蓮くんの出演する朗読劇の配信を見れば孤独じゃない。

誰にも必要とされてない気がする夜も、蓮くんの「おやすみ」で眠れる。

——推しの声で、生きている。

「……ダメだ、起きなきゃ」

声に出して、ようやく身体が動いた。

時計を見る。

午前八時。

出社時刻まで三十分しかない。

飛び起きて洗面所に向かう。イヤホンからは蓮くんのラジオが流れている。

『今日のメール。ペンネーム「蓮くんの声で目覚めたい」さんから……って、これ毎週送ってくれてる人だ。ありがとうございます』

私が投稿したメール。

読まれた時の感動を、今でも忘れない。

東京に来たのは九年前。

憧れだった出版社に就職が決まって、故郷の奈良を出た。

一人暮らし。

ワンルーム。

夢を追いかけて上京したはずなのに、気づけば編集アシスタントのまま三十一歳になっていた。

電車に飛び乗って、ようやく息をついた。

スマホを開く。イヤホンを耳に差し込む。

蓮くんの声が、また流れてくる。

——私は、推しの声で生きている。

会社に着いて、デスクに座る。

画面を開くと、メールが山積みになっていた。

「水野さん、この原稿の確認お願いできる?」

先輩の声。

「はい」

返事をして、ファイルを受け取る。

淡々と仕事をこなす。

昼休み。

スマホを開いて、Twitterをチェックする。

タイムラインには蓮くんの情報が流れてきた。

『柊木蓮、新作アニメ出演決定!』

いいね、をつける。

リツイート。

他のファンのツイートを眺める。

みんな、同じように蓮くんを愛している。

私は、その中の一人でしかない。

——それでいいんだ。

そう思っていた。

あの日までは。

夜、帰宅してベッドに倒れ込む。

スマホを開くと、通知が来ていた。

『【当選】柊木蓮 朗読劇イベント「月夜の恋文」お渡し会参加権』

画面を見つめる。

何度も見返す。

「……当たった」

声が震えた。

三ヶ月前に応募した、朗読劇とお渡し会のセット企画。

倍率五十倍以上と言われていたプラチナチケット。

「当たった……私、当たったんだ」

一人暮らしのワンルームに、私の声だけが響く。

すぐに故郷の幼馴染に電話をかけた。

呼び出し音が二回鳴って、繋がる。

「もしもし?どうした、こんな夜に」

浅井康太。

奈良で育った幼馴染で、今でも時々電話で話す。

「康太、聞いて」

受話器の向こうで、康太が笑う気配。

「声震えてるけど」

「蓮くんのイベント、当たった」

「……マジで?」

「マジ」

電話越しに、康太の驚いた息遣いが聞こえる。

「すげー。美月、運使い果たしたな」

「うん……」

「で?お渡し会で何渡すの?」

「手紙……書こうと思って」

「ちゃんと渡せよ。緊張して倒れんなよ」

「倒れないよ……多分」

「多分かよ」

電話越しに、康太の笑い声が響いた。

電話を切ってから、私はベッドに寝転んだ。

イベントは二週間後。

それまでに、何を準備すればいい?

何を話せばいい?

というか——蓮くんを目の前にして、私は正気を保てるんだろうか。

「……大丈夫」

呟く。

でも、心臓はうるさいままだった。

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